ASIA is one.
アジアは一つである。

岡倉天心『東洋の理想』冒頭です。

岡倉天心は少し前に『天心』という映画になりました。

今回は、その天心ゆかりの地、五浦(いづら)へ行きます。

その前に岡倉天心について少し。

本名は岡倉覚三。

東京美術学校――現在の東京芸大――の初代学長。

怪文書に端を発したスキャンダルによって、学校を追われてしまいます。

彼を慕っていた、助教授である下村観山、横山大観、教員の菱田春草がその職を辞し、天心と共に日本美術院を創立。

その後、財政難となり天心の別荘があった五浦横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山が移り住むことになります。

では、その五浦に行ってみましょう。

大津港駅から歩く

五浦観光案内所

茨城県にある大津港駅を降り、駅前の素敵なレンガ造りの建物が観光案内所になっています。

そこで地図をもらい出発。

軽く考えていたんです、この時は。

土日以外はバスが出ておらず、道は一本道。

足には自信があるし、歩こうと。

しかし、どこまで行ってもこんな景色。

茨城県天心記念五浦美術館までの道

徒歩45分。

バスがない時は、タクシー(5分)をおすすめします。

茨城県天心記念五浦美術館

茨城県天心記念五浦美術館

立派な美術館です。

茨城県天心記念五浦美術館

中では企画展示、常設展時として岡倉天心記念室があり、彼の業績を知ることができるようになっています。

行った時ちょうど学芸員が説明してくれるガイドツアーにも参加できました。

岡倉天心に興味のある人にとってはなかなかいいのではないでしょうか。

茨城県天心記念五浦美術館
住所:茨城県北茨城市大津町椿2083
開館時間:4/1~11/20までは午前9時~午後5時
11/22~3/31までは午前9時30分~午後5時 ※入館は午後4時30分まで
休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は翌日休館)、12/29~1/1
入館料:企画展ごとに設定 ※岡倉天心記念室もご覧になれます。

岡倉天心記念室
一般 190(140)円 高大生 110(80)円 小中生 80(50)円
※上記の( )内は20名以上の団体料金です。

交通アクセス
大津港駅からはタクシー(約5分)のご利用が便利です。
※徒歩約45分

さてさてそこから、また歩きです。

徒歩15分。

地図を見ながら歩いた先には……

岡倉天心の墓

そして斜め向かいには……

天心遺跡 茨城大学五浦美術文化研究所

天心遺跡 茨城大学五浦美術文化研究所

この長屋門は、登録有形文化財の歴史あるものだそうです。

ここを入ると、視界が開けます。

五浦の風景

天心が選んだだけある景勝地です。

亜細亜ハ一なり

「亜細亜ハ一なり」石碑です。

その横には、

天心邸

天心邸

その脇にはこんな看板も。

六角堂 津波の被害

実は、右下の写真にあるとおり、東日本大震災の津波被害で、天心の六角堂が流されてしまったんですね。

現在は、このとおり。

六角堂

再建されています。

中を覗くと、

六角堂 中

天心はこんな感じで海を眺めていたようです。

六角堂からの眺め

外観はこんな感じ。

六角堂の外観

六角形の構造は杜甫の草堂、朱塗りの外壁、屋根の上の宝珠は仏堂、内部は床の間と炉のある茶室。

つまり、六角堂は、中国、インド、日本のアジアの文化がひとつの建物として表現されているそうです。

まさに「ASIA is one.」。

茨城大学五浦美術文化研究所
住所:茨城県北茨城市大津町五浦727-2
開館時間:4月~9月の期間 8時30分~17時30分
10月、2月、3月の期間 8時30分~17時00分
11月~1月までの期間 8時30分~16時30分まで
(入場は開館終了時間の30分前まで)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)、年末年始12月29日~1月3日
入場料:300円

六角堂ライトアップ
点灯時間 日没より21時00分まで

交通アクセス
大津港駅からはタクシー(約10分)のご利用が便利です。
※北茨城市巡回バスもありますが運行日要注意
※徒歩約60分

ここを後にして、次の目的地へまた歩きます。

徒歩10分。

映画「天心」ロケ地

五浦岬公園

五浦岬公園に到着。

2013年に公開された映画『天心』

岡倉天心は竹中直人、横山大観は中村獅童。

横山大観以下、画家はみんな食べるものにも苦労する有様。

そんな苦難、苦心の末、画業で成果を出す様が描かれています。

そのロケ地、日本美術院研究所のセットがこちら。

日本美術院研究所のセット

横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山が画業に勤しむ様子がこれです。

横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山が画業に勤しむ様子

この頃、画壇においても渡欧し本格的な技術を修得した黒田清輝などの洋画家が勢いをつけ、伝統的な日本画の立場がなくなっていきます。(以前、東京美術学校創立の際に岡倉天心が新しい洋画を排斥してしまった反動もあるのでしょう)

そんな厳しい状況の中、彼ら四人は新しい日本画を模索しつづけます。

孤独な戦いです。

春草は視力も失います。

しかし、彼らの戦は実を結びます。

竹内栖鳳、橋本関雪、川端龍子、速水御舟、上村松園、鏑木清方、伊藤深水、続々と新しき才能が開花し、近代日本画は隆盛へと向かいます。

日本画はなくならなかった。

何を大げさなとお思いですか?

とんでもない。

当時は、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で寺を廃し、仏像を壊す。

今であれば国宝級の浮世絵、琳派の屏風など日本美術の宝も続々と国外へ売り払われました。

いろいろ理由もありますが、特に維持費のかかる城はほとんど残っていない。(今ある城はほとんどコンクリでしょう?)

そんなあやうい時代でもあったのです。

日本画が残ったのは、彼らが新しい美の価値を絵筆で証明し、その絵画で説得してみせたからです。

岡倉天心『東洋の理想』で説いた、その文化を一つにするアジアの平和的感性、王も農民もその身分の別なく、すべての人々の心が和合すること。

美しいものを等しく理解する人々のその和合が“力”となり、日本画を存続させました。

五浦の風景

ASIA is one.

これは、平和を愛する心が一つになるということです。

横山大観、富士の最高傑作

師、岡倉天心のもとで学んだ近代日本画の巨匠、横山大観。

横山大観が日本画を広く大衆へ広めるために提唱した巧藝画(こうげいが)をご存知でしょうか?

美術印刷に、熟練の絵師が日本画の岩絵具を手彩色するという複製画です。

日本画の美しい色彩と人の手が入ることによって生まれる気品。

すばらしい出来栄えの複製画で、百年の歴史があります。

横山大観と言えば、富士。

横山大観、富士の巧藝画にご興味はありませんか?